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毒になる親


4.「毒になる親(毒親)」のタイプ

毒になる親に育てられた子供は、虐待の内容がどのようなものであれ、いずれの場合も、成長してから似たような症状を示します。
一人の人間として存在していることへの自信が傷つけられているので、

自分に価値を見出すことが困難で、人から本当に愛される自信がなく、そして何をしても自分は不十分であるように感じる


ようになります。


・神様のような親

このタイプの親は、「親は絶対であり、子供は常に親の言う通りにしなければならない」と固く信じている。


・義務を果たさない親

子供にとって、食事や服、住む場所を与えられ、危険から守られる、といった生存に必要なものだけでなく、心の面でも健康に育てられることは誰も奪ってはならない基本的な権利である。そうでなければ、生まれてきたことに価値を見出せる人間には成長できないからだ。

「義務を果たさない親」は、自分自身が情緒不安定だったり、心の健康が損なわれているため、子供が必要としていることに応えられないばかりか、その多くは自分が必要としていることを子供に満たしてもらおうとしているありさまだ。

本来なら親がしなくてはならないはずの仕事が両肩に重くのしかかり、そのために楽しい子供時代を経験したことがない。他の子供たちのようにふざけたり、屈託なく遊んだ経験がほとんどないのである。子供としての基本的なニーズが満たされなかったことを、「そのようなものは自分には必要ない」と信じ込むことで、感情を自由に表現できない苦しみや寂しさと対抗するようになる。
しかし小さな子供が、大人の役を押し付けられてもうまくやり通せるわけがない。なぜなら、子供はあくまでも子供であって、大人ではないからだ。そして、フラストレーションがたまり、「不完全にしかできない自分」という自己イメージができてしまう。


・コントロールばかりする親

「コントロールばかりする親」とは、文字通り過干渉の親のことである。
コントロールしたがる親というのは非常に自己中心的な性格をしている。彼らにとって、子供がやりたいと思うことでも、自分が子供に望むことと一致しなければ意味がないのである。
子供が何かを達成すると喜び、子をほめるが、それは本当の意味で子供を祝福しているのではなく、子供が親の望むことをし(てくれ)たので喜んでいるのである。

子供は、親のお人形やロボットではありません。親の思いどおりにバイオリンが弾けなかったからといって、子どもを殴る権利などありません。バイオリンに憧れるなら、親自身が「バイオリンを弾けるようなりたい」わけですから、自分が習いに行けばいいのです。
親が、自分の人生で取りこぼした夢や、やり残して悔しく思うことを子どもに肩代わりさせるのは、親の「暴力」です。子どもは親の所有物ではありません。
子どもと自分を一体だと勘違いしている親は、自分がバイオリンを習う楽しみを味わうより、「バイオリンを上手に弾ける子どもを持つ」ことに憧れているだけです。
このような親には、子どもは、独立した人格を持った、自分とは別の人間である、という意識がありません。彼らにとってわが子は、自分のやりたいことを代わりにやらせる「ペット」のようなものです。ペットですから、殴ったり、おどしたり、なだめすかして、思いどおりに芸をしこもうというわけです。上手に芸ができるようになったら、上手にしつけた自分のお手柄ですから、近所や世間に連れて歩いて自慢して見せびらかすことができます。
「子どものため」「この子の将来を思って」などというのは言い訳に過ぎません。
(『インナーマザー』より。当サイト管理人一部改)


「コントロールする親」に共通している点は、彼らの行動の根源には自分自身の人生に対する根深い「不満」と、自分が見捨てられることへの強い「不安」があるということである。
コントロールしたがる親の多くは自分が必要とされなくなることを恐れているため、子供の心のなかに非力感を植えつけ、それが永久に消えないようにと望む。子供が独立心を見せると裏切られ見捨てられたように感じる。表面的に見れば、それは子供を自分に依存したままにさせておこうとする行為だが、実は自分が子供に依存していることの裏返しなのだ。

このタイプの親の持つ問題の深刻さがなかなか理解されにくいのは、彼らは子供を支配しようとしているのに「子供のことを気遣っている」という「隠れみの」に包まれているためである。彼らのいう「あなたのためを思ってしているんです」という言葉の本当の意味は「私があなたをコントロールするのは、あなたがいなくなってしまうことがあまりにも不安だから」ということにほかならない。だが、もちろん彼らがそのようなことを認めることはまず絶対にない。

親からコントロールされてばかりいる子供は、新しいことを経験して学んでいくように勇気づけられることがないため、自信が育ちにくく、しばしば自分では何もできないように感じ、また心の奥にはフラストレーションがたまっていく。

そういう子供の多くは、思春期を過ぎて成人に近付いてもあいかわらず世話を焼きコントロールしようとする親から脱却できず、親のほうは子供の人権に対する侵略を続け、心を操ろうとし、子供の人生を支配し続ける。

自分の意志で親に逆らおうとすると、今度は「手助けしようとしている優しい親」または「かわいそうな親」を傷つけることになるという無言の圧力を感じてしまう。こうして、爆発しそうな自分を抱えたままノイローゼ寸前になっている。


・アルコール中毒の親



・残酷な言葉で傷つける親

肉体的な暴力も被害者に大きなダメージを与えるが、言葉による暴力はそれと同じくらい、時にはそれ以上に人を傷つける力を持っている。特に、親による侮辱的なののしり、はずかしめ、バカにした言葉などは、子供の心を著しく傷つけ、将来の心の発育に劇的な悪影響を及ぼす。

残酷で侮辱的な言葉で子供を傷つけながら「お前をもっとましな人間にするためだ」などといって正当化する親は多い。こういう親は、実際には虐待しているのに、表向き「教えているのだ」という仮面をかぶっているため、被害者の子供は大人になってもその有害性がなかなかわからない。

子供は「怒られている自分が悪いのだろう」とは感じても、やはりすっきりした気分にはなれない。後ろめたい気持ちに反発が混ざり合い、自分が何かをちゃんとやれていると思えることがない。これでは自信など生まれるわけがない。何かがうまくできたと思った時でも、ひとことのけなしでその気持ちはしぼんでしまう。自信を育てなければならない大切な時期に、励まされるのではなくけなされるのでは、自信の芽は摘まれてしまうのである。だが親は「わからせてやるため」という理由をつけて、けなす。

こういう親は、実は自分に能力がないことに対してフラストレーションを抱えている。子供をけなすことで自分の優越性を示し、自信のない自分を隠しているのである。

親の言葉による虐待は、子供がポジティブな自己像(自分には愛情があり、人からも愛され、人間として価値があり、能力もあるというイメージ)を持つ能力ほはなはだしく損なうばかりでなく、将来どのようにして世の中とうまくつき合っていけるかということについてもネガティブな像を作り上げてしまうのである。


・暴力を振るう親

子育ての最中、ほとんどの親が子供を叩きたい衝動にかられたことが一度や二度はあるに違いない。だが、それは子供が泣きやまないとか、わけのわからないことを言ってダダをこねるとか、反抗するといった子供の行動より、その時の親自身の精神状態、たとえば疲れている、ストレスがたまっている、不安や心配事がある、または自分が幸福な人生を生きていない、などが原因であることのほうが多いのである。

人間は、人は自分をどう扱うか、ひいては社会は自分をどう扱うか、という概念を、成長していく過程で親との関係をもとに形作っていく。親から暴力を振るわれ、人間性を踏みにじられた子供は、成長するとともに、自分を防衛するために常に心身を硬くこわばらせた人間になっていく。それは精神的なよろいをまとっているようなものだ。しかし、そうやって自分を守っているつもりでも、それは他人を近づかせないということであり、自分を牢獄に閉じ込めているようなものなのである。


・子供に性的な行為をする親


3.「心が健康な親」と「コントロールばかりする親」の違い <    > 5.傷つけられた心を癒そう



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